2000八尾市平和大使バスツアー

今年も8月5日・6日に下記のような日程で八尾市平和大使バスツアーが行われました。これは被爆地広島を訪れ、実際に戦争のつめあとを見たり、被爆体験者の話を聞き、戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶためのものです。

5日・広島への車中、ビデオ鑑賞

    (夏服の少女たち)

    (はだしのゲン)

   広島平和記念資料館、平和記念公園見学

6日・平和祈念式典参加

   平和記念公園内見学

   原爆ドーム前にて献花、折鶴奉納

   被爆体験講話

   帰りの車中、ビデオ鑑賞

    (火垂るの墓)

    (アンネの日記)

参加された26人の方に感想文を書いていただきましたので、その一部(抜粋)を紹介させていただきます。

 被爆体験講話で一番心に残ったことは、『人間を人間でなくするのが原爆であると思う』という言葉です。私は人間であり続けたい。

 毎日を当たり前のように過ごしています。

でもそれは平和であるという錯覚の中ででした。しっかり世の中を見つめてみると、今この瞬間に世界が滅びてしまうかもしれません。この世の中に核がある限り。今回平和大使になれたからこそこうやって今の現実を見つめ直すことができたのだと思います。1人でも多くの人が平和について考えてくれることを願います。又考えなければならないと思います。平和について考える機会を与えてくださったことに感謝致します。

          (30代 女性)

11時から被爆体験講話を色々と聞きましたが、その中で特に感じたことは、55回目を迎えて被爆体験者の高齢化に対する訴えでした。今回参加させて頂いた私に出来ることは「これだ!!」と思いました。この原爆と戦争の恐ろしさを次の世代へ確実に伝えて行く事が大事だと感じました。21世紀こそ必ず平和の世紀にするために微力でも先ず子どもや回りの人々に訴え語り伝えることを決意し行動してまいります。

           (50代 男性)

 平和記念資料館で「廃虚の広島」の展示に、一瞬の白熱同時に高熱と爆風の渦、炎が街を走り、黒い雨が逃まどう市民にたたきつけ、その後、動くものもない死の空間が広がり、この廃虚から「ヒロシマ」が生れたこと、そして核兵器廃絶と、世界恒久平和の実現を求める「ヒロシマの心」から広島の平和の歩みは世界へ向かって、始められた。等々目をおおいたくなる被爆の恐ろしさ、私の想像も出来ない戦争の爪後、55年たった今も、原爆後遺症、被爆二世として苦しんでおられる方、毎年多くの人々が亡くなっている、と涙ながらに語って下さる体験を聞かせていただき、戦争ほど残酷で悲惨なものはないことを痛感し、被爆者の「魂の叫び」を心に刻んだ2日間でした。

平和を願いながら、亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りするとともに、平和な新世紀めざし、二度と悲劇を繰り返さない、被爆を風化させないためにも「いのちの大切さ」を語って、まいります。

       (60代 女性)

 わたしは、へいわたいしとして、ひろしまにいってきました。へいわきねんしりょうかんをみました。こんなことはいやだ。かわいそうだ。つぎのひは、へいわしきてんにさんかをしました。めをつぶってへいわへのおいのりをしました。へいわのはとが

いっぱいとんでいきました。わたしは「あつい。」ともんくをいってしまいました。けれども、55ねんまえのおなじひ、おなじじかんに、げんばくがおとされて、たくさんのひとがなくなったり、やけどなどで、くるしんだことをおもうと、あついぐらいがまんできるとおもいました。

それから、ひばくしゃのひがしさんにせんそうのおはなしをききました。どんどんしんでいくひとが、いまでもいるのでこわいとおもいました。 

          (小学生 女子)

 被爆体験者の東氏の講話を拝聴しながら、氏が、大勢の人が死傷した中で、今も自分が無事で生きている事に、申し訳け無さを感じており、こうして語り部を続けることで、せめてもの償いと感じている事もよくわかり、氏もまた、まぎれもなく一人の犠牲者なのだと思い、胸が痛んだ。

 「一本の鉛筆があれば、何よりもまず”人間の命”と書き”核兵器の廃絶”と書き続ける決意である」と宣言した広島市長の言葉は、子供にもわかる平易な文章でありながら、温かい血のかよった、格調高い「平和宣言」であったと思う。その中で「和解」という言葉が特に印象に残った。「和解」という言葉をキーワードに、核の無い世界平和を実現するために、一人でも多くの人に熱く訴えていきたいと思う。和解は感謝・愛と同義である。

すてきな感動と体験の二日間をありがとうございました。  

 (60代 女性)

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