南米というとブラジルのアマゾンや、アルゼンチンのパンパを思い浮かべる。南米には、四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・中国)に匹敵する=文明自体の比較はできない=インカ文明が存在した。
日本の古代文明でも、「卑弥呼」に代表されるように、各地に豪族や王がいたが、最終的には大和朝廷が統一したということになっている。南米でもインカ以前にいくつかの文明があり、11世紀の末頃にインカ族がコロンビアからチリにかけて大帝国を築いた。その統一以後を「インカ」と呼び、統一までの文化(時代)を「プレインカ」と呼んでいる。
空中都市マチュピチュ
首都リマからクスコに向かう。なんせ、海抜0b付近から一気に3400bへ飛行機で1時間で昇ってしまうため、高山病が不安。
3層の巨石が何回もジグザグを描き、300b以上も続いているクスコの街を守るための要塞跡の「サクサイワマン遺跡」には感動。
クスコ市内観光の翌日待望の、あこがれの「マチュピチュ」に向かうが、アルコールを一滴も飲んでいないのに頭がガンガンする。クスコから高山列車に乗り3時間余り、マチュピチュ直下の「アグアスカリエンテス駅」に到着。そこからマチュピチュ遺跡の入口まで高さ400bをバスで約30分かけて昇る。多少息切れはするが、クスコから約1000b下ったマチュピチュでは体調もベストに近い。
2400bの山頂に築かれた空中都市マチュピチュは、発見された当時草木に覆われ、空からは見えなかった。遺跡は1000年以上の歴史があり、インカ全盛期以前から存在して、インカ帝国の支配下におかれていた。インカやプレインカの文化には文字が存在しないため、歴史的に明らかになっていないことが多すぎる。車輪を持たなかった彼らは巨石にこだわり、滑車や丸太などを利用して石を運ぶことなく、どのようにして大きく多くの石を山の上に上げることができたのか。また、カミソリの刃も通らないように石を組み合わせたのは何故だろう。
「アグアス駅」到着時は雨がパラついていたが、遺跡内の2時間30分は快晴になり、気温が上がり、Tシャツでも汗をかくほど。午後1時過ぎ見学を終え、遺跡入口横のレストランへ昼食に入った途端、また雨が降り出した。「晴れ男」の所以ここにあり。
マチュピチュから「アグアス駅」に降りる間、バスがつづら折りのカーブを曲がるごとに真下に走って下りてきて、バスに「グッバイ」と手を振る「グッバイボーイ」がいた。最後のカーブを過ぎるとバスに乗り込み観光客からチップを貰っていた。ただ、バスを追いかけるように走り降りるだけだったのにチップとも思ったが、ペルー人にとってはそのことが十分に労働に値している。フジモリ大統領は就任後3000以上の学校を作ったが、地方では学校に通える子どもは少ない。農業もできない地方では観光が最大の収入源であり、子どもが家族を支える重要な働き手になっている。
クスコからララヤを経てプーノへ
ペルー人は練った土で日干しレンガを作り、それで家を造っている。夏は涼しく、冬は保温性が高いらしい。家が古くなると新しい家を建てる。古い家は土でできているので、土に還り環境への影響は起こさない。ペルーの街は赤茶けた土で建てられた家が多く、茶色くくすんで色彩に乏しい。
クスコからプーノに向かうバスの途上、今回の旅の最高地点ララヤ4325bの標示板に降り立つも、息苦しさは最悪。記念撮影もそこそこにバスに戻る。また、そのバスに乗るだけでゼイゼイハアハア。ララヤを下り、プーノに入ると息苦しさは若干ましになった。
この日は途中にレストランがないため、昼食は川べりでおにぎり弁当になった。高山病で食欲がなかったところに、近くに住む86歳のおじいさんが寄ってきた。現地ガイドによると、8人家族で食べるのがやっとなので食べ切れなかったらあげて下さいとのこと。私たちはおにぎりを一杯あげ、ペルーの貧しさを垣間見たが、物質が有り余っている日本に暮らす私たちにペルー人の貧しさをどれだけ理解できたことか。
アンデス山中でソーラー発電
チチカカ湖では、葦(トトラ)でできた島を訪れる。島に降りるとフワフワで心許なく、足元もおぼつかない。トトラが腐ってくるとどんどん新しいトトラを重ねていく。それでも使えなくなると新しい島を作り、移動して古い島を捨てていくのでトトラでできた島の実数は不明。
チチカカ湖はインカ発祥の地と言われ、3000年以上もトトラによる素朴で質素な生活をしているが、家の外に日本でも見かけない「文明の機器」を見つけた。ソーラーシステムだ。小さな島でもソーラーで電気を起こし、ラジオぐらいは聞けるようになってきている。文明の利器を使っても島の人たちは、トトラの島にトトラで家を造りそこで生活を続けている。
高所最終地のチチカカ湖で同行のメンバーがついに酸素吸入をうける。吸入が高所に上がってすぐだと酸素なしでは、過ごせなくなるが、明日下界に降りるなら吸入しても、まあ差し支えないとのこと。ただし、吸入は1回5分まで。
ナスカの地上絵
最終日ナスカに向かう。リマは「インカの呪い」でどんよりと雲っているが、ナスカへの起点になるイカの街はリマから300kmしか離れていないのに全くのサバクで暑い。イカ空港から約60分のフライトでナスカへ。ナスカの感動は今いち。絵自体が風化で薄れている上、他の線が一杯有り分かりにくい。「見えない」と操縦士に意志表示しても同乗者のひとりでも「OK」と言えば、2回は見せてくれない。もうちょっとゆっくり飛んで見せてくれ〜。
地上絵は、表層の土を削って描かれていて、それぞれはちゃんと測量されている。何のためにこのような地上絵が描かれたのか未だに不明。広大な砂漠地帯に描かれた地上絵を古代の人たちはどのようにして見ることができたのだろう。
マチュピチュの遺跡にしろ、ナスカの地上絵にしろ、ナゾばかりである。その創造された理由を私たち一人ひとりが違った思いとして心に描くことができる。
インカの時代は農耕社会で役割分業された運命共同体だったにもかかわらず、王の存在があり明らかな階級社会だった。が、今でもペルーは階級はなくなったかもしれないが、貧富の差が著しい社会であることに違いはない。
(裕)