「精神医療の歴史・日本編part3」
わが国における精神病患者と精神障害者の歴史
吾亦紅 スタッフ 岡田 猛
さて、今回は当時、社会的に大きな話題と問題を巻き起こした大事件、相馬事件を紹介します。この事件によってわが国における精神障害者の歴史は転換期を迎え、精神病者の保護についてはじめての法律、「精神病者監護法」が成立するに至ります。この法の内容はまったくひどいものでありましたが、長い年月を経て精神障害者とその家族、または関係者が苦難を味わい、苦闘し続けながらも、何度も法改正を繰り返し成立した現在の精神保健福祉法のまさに原点であるとも言えます。さあ一緒に本題に入っていきましょう。
1883(明治16)年、当時、奥州旧中村藩主 相馬誠胤〈そうまともたね〉という人物が特発性躁暴狂(当時の呼び方で精神分裂症と考えられる)にかかり、自宅に監禁され、さらに加藤癩狂院や東京府癩狂院(当時の精神病院の表現)に入院していました。事件は、これについて、忠臣であった 錦織剛清〈にしごおりたけきよ〉が、「うちの殿様は精神病者ではない。悪者たちに謀られて病院に監禁された」と告訴したことに始まります。悪者の中心にされたのが相馬家の家令 志賀直道であり、院長や東大教授もその仲間とされ、内務省や国会議員が錦織に同調し、ことはますます大きくなっていったのです。1892(明治25)年に相馬氏は尿崩症で死亡しましたが、錦織はこれを毒殺だと告訴し、いったん埋葬された遺体を発掘して検査するという事態にまで発展していきました。当時、錦織の著者『闇の世の中』が広く読まれ、錦織に味方する者も多くみられたのも事実です。結局、1895(明治28)年に錦織が有罪となってこの事件は終りましたが、これを機に、精神病者の保護についてわが国初めての「精神病者監護法」が成立します。しかし、これは公安上の観点が主で、監護義務者(当時の表現)による「私宅監置」(当時のいわゆる座敷牢)が認められ、精神病者を治療するのではなく、社会から隔離することが法的に認められ、また、精神病者の管理が警察部の所管とされました。
次回は、この「精神病者監護法」を毅然と批判した人物、呉 秀三を御紹介します。一緒に精神障害者の歴史を紐解いていきましょう。
精神保健福祉士養成セミナ-@ 精神医学参照