同和問題再見聞

「同和地区を固定化させているものは?」

 9月、生涯学習センターで講演機会を得た。話の中心は、いま地域で取組まれている同和事業の変革の数々を紹介した。後日、参加者の感想文を見せていただいたが、予想以上の反響だった。「私達の知識は古いままだった」「逆差別だと思っていたが、地域の努力が分かった」「聞いてみないと分からないものですね」と言った感想が沢山帰ってきた。やはり誤解や偏見には、地域住民自身の取組みや思いを直接知ってもらうことが大事だ。

 さて、感想文に「どこそこの同和地区で…と話すと、いつまでもそこを部落と固定させてしまうのでは?」との疑問があった。たしかに私達が自分達の地域を紹介することは、そこが部落であることをアナウンスしているようなものだ。しかし私達は、自分達の住む地域が同和地区であることを、自分が同和地区出身であることをアナウンスしても差別されない社会を目指したい。そして、この活動の数十年に対し、数百年というはるか長きにわたって部落差別が続いていることを考えれば、部落を語らないことが問題の解決につながるというものでもないことを分かってもらいたい。

 ここでもう一つ、行政的な『地区指定』の問題を考えてみたい。地区指定とは、そこが同和地区であると行政が認めることを言う。そこで、「行政が、同和地区と指定することが部落を固定化させている」との意見もある。しかし、そもそも行政が同和対策をはじめたのは40年ほど前で、それまでは部落が差別されていることも、そこに行政課題があることも頑と認めてこなかったのである。つまり『地区指定』とは、そこが社会的に差別されている地域であることを認め、そこに行政施策が必要であることを認めると言う意味なのだ。先ほどの例と合わせて、どちらも社会の差別意識こそが、その地域を部落として存在させ続けてきたことに気づいてほしい。部落問題に限らず、私達は色んな人権問題で、ややもすると原因を当事者に求めてしまったりする。いずれも、マイノリティーの立場になって考えれば分かる罠なのだが…

 ところで最近、ふと思ったことがある。私が住む安中地区は、戦後在日コリアンとの共住地でもあったが、高度成長期には低所得層の流入地ともなり、現住率(そこで生まれ育った者)は4割を切るに至っている。視点を広げて校区を見れば、近年はベトナム渡日者や中国帰国者が多く暮らしはじめている。地区内二つの保育所には、201人の入所数のうち地区内児童は81人、コリアン籍児童は8人、ベトナム籍児童は27人、中国籍児童は14人となっている。もはや、同和地区とその周辺という単純な捉え方ではなく、同和地区も含めて多様な出自が同居する地域になっている。私達は、人権教育で言う「違いを豊かさに」を心がけているが、日々の地域コミュニティや公施設職員の関わりは口で言うほどたやすいものではない。行政は、『同和地区』とはもう一つ違う地域認識が必要となって来ているのではないだろうか。

(市同促:笠原)

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