わが国における精神病患者と精神障害者の歴史

〜一市民である私の見解 シリーズI〜

「精神医療の歴史・日本編part4」

吾亦紅 スタッフ 岡田 猛

 前回、精神病者監護法について触れましたが、今年はこの法の制定から100年、またこの後に施行される精神衛生法から50年という節目の年です。この連載も今回で10回目を迎え、この記念すべき時に、精神病患者の人道的保護を広く訴え、日本の精神医療に大きな変革をもたらした、呉秀三という歴史上の人物を紹介できるのは私にとって大変喜ばしい事です。さて本題に入っていきましょう。

 1900(明治33)年に成立した「精神病者監護法」によって公安上の観点から、監護義務者による私宅監置が認められ、精神病者を治療するのでなく社会から隔離することが法的に認められるようになりました。そのようななかで、東京帝国大学教授であり、巣鴨病院長でもあった呉秀三が、1901(明治34)年に巣鴨病院で「無拘束の理念」を提唱し、精神障害者に作業療法を始めました。呉秀三は、「精神病は精神の病気ではなく、もちろん身体の病気でもなく、精神・身体とまとめて一括したその本人の病気である。」と説き、「精神病者監護法」を批判し、翌年、精神病者慈善救治会を結成しました。これは後に日本精神衛生会となります。1918(大正7)年に呉秀三は、<精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察>を著し、その中で記載された「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。精神病者ノ救済ト保護ハ実ニ人道問題ニシテ、我邦目下ノ急務ト云ハザルベカラズ」という言葉は、あまりにも有名です。このような努力が重ねられ、1919(大正8)年に「精神病院法」が成立しました。これはなお取締り保護中心でありましたが、精神障害者の保護治療への道を開いたものとして重要です。この法律にもとづいて、道府県立精神病院の設立が促進されることになり、たとえば、鹿児島保養院が1925(大正14)年、大阪府立中宮病院が1926(昭和元)年、神奈川県立芹香院が1929(昭和4)年、福岡筑紫保養院が1931(昭和6)年、愛知県立城山病院が1932(昭和7)年と、次々に設立されました。次回はわが国の近代精神医療に入ります。

精神保健福祉士養成セミナ-@ 精神医学参照

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