(第1回)

地域分散論を考える

 今夏、「人権についての市民意識調査」が八尾市で行われた。従来は同和問題についての意識調査として行われていた。そのアンケートに『同和問題の解決には、どのようなことが必要だと思いますか』との項目があり、幾つかの選択肢で最も回答が多かったのが「同和地区の人がかたまって生活しないで、分散して住むようにする」の35.9%だった。前回調査では24.6%だったので、11.3ポイントの増加は注目すべきである。

 同和問題、いわゆる部落差別は、居住や出生など地域に対する差別を基本にしているのであるから、この「かたまって生活しないで、分散して住めばいい」との考えは、自然な発想とも言える。しかし、このごく自然な発想とも思える考え方に、実は大切なことが抜けていることに気づいて欲しい。「人は、どこに住もうが自由なんだ!」と言う事を。居住の自由と言う権利があるってことを。

 そして、阪神・淡路大震災で被災された方々が、たとえ再び大地震の心配があっても「やっぱり生まれ育ったこの街で生きていきたい」と思うのと同じように、同和地区に生まれ育った人達も、たとえそこに住む事が差別されることにつながろうとも、やっぱり生まれ育ったこの街で生きたいと思うのがこれまた自然な心情と言える。こうして考えれば、「かたまって生活しないで、分散して住めばいい」との考え方は、実はとても人権を軽んじた発想であり、人の心情を無視した考え方である事に気づいてほしい。

 もう一つ知ってほしい事もある。実は、同和地区に生まれ育った人たちは、別にみんながそこに固執して暮らしている訳じゃない。新しい生活の場をもとめたり、いろんな事情で引っ越していく人は、これまでにも結構いるのだ。住み続けたいと思う人がいて、引っ越していく人もいる。そして新しく住み始める人もいる。そんな普通の営みの中に、なお部落差別が根づいていることから考えてほしい。

 

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